2011年03月14日
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いなげや前支流(仮称)こそが最初の分水口の名残であるか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 tokyoriverさんの北沢川源流域/北沢分水を辿る(1)はじめに。謎めいた分水口。より

北沢分水はここで分水された後1.5kmほど、玉川上水の南側に並行して流れたのち、下高井戸2丁目で南下していたのだが、(以下略)

 むむむ。

 典拠は書いてありませんが、これは凄いかもしれない。

 というのは、あらゆる矛盾を解消できるかも知れません。

 下高井戸2丁目に存在する水路跡は、「いなげや前支流(仮称)」と呼んでいた水路しか知りません。これがそうだとすると、以下の問題に全てケリが付きます。

  • 玉川上水方面から南への水路が複数存在することが想定されているが、玉川上水関連資料にそのような分水の記録はない→玉川上水から分かれているのではなく、平行する水路から分かれている
  • 「いなげや前支流(仮称)」の位置は、想定される分水点と大幅に食い違っている→平行して流れた後に分かれている
  • 「いなげや前支流(仮称)」より西にはあるのに東には水路の痕跡がない→そこから水路が分かれている

 ちなみに、分水された後しばらく平行するのは実は下高井戸分水も同じで、なんら奇異ではありません。

2011/03/17追記 §

 下高井戸2丁目は誤記というオチでした。続・いなげや前支流(仮称)こそが最初の分水口の名残であるか?参照。

下高井戸周辺史雑記